リベラルアーツ

「寺子屋」は英語を習得することが目的ではありません。英語の学びを通じて、これから未来を生きる塾生に「自分で考え」「行動する」ための術を伝えることを目的としています。その目的を達成するためには定期テストで満足のいく点を取るとか、英検に合格するとか、入試で合格するといった成功体験も当然必要です。したがって、そういった「プロセス(手段)」も確実にかつ大切に扱っております。ただ、そのようなことを学びにおける目的にはしてほしくありません。志望校合格で人生が終わってしまっていいんですか?

最近、大学の宣伝で「リベラルアーツ」という言葉を見かけます。実際に行われている中身を見ているとどうもかつて(大学によっては今も)行われていた、専門課程教育の前に行う「一般教養教育」と区別がつかないものが多いように思います。実務性の高い専門分野に集中して研究?を行う前にその素地として広く浅く様々なジャンルの教養を習得する。そんな感じです。しかしそれは「寺子屋」で行っているリベラルアーツとは異なります。

「寺子屋」ではリベラルアーツを教育理念とすると同時にリベラルアーツの術の習得を最大かつ唯一の「目的」と位置付けております。主体性のある考え(分析、判断、主張など)を行う(発信する)ためには、必ずその対象となるトピックに対する深い理解と、同時に主体的考えを裏付ける客観的根拠が必要となります。その時、具体的にどうすればよいのか?ここが学びのポイントです。例えば、中学で不定詞という項目を学びます。ここでまず関心を持ってもらいたいのは、to do ~が「なぜ」不定詞と分類されているのか?という視点です。答えはいたってシンプルです。言語に限らず例外のないルールはありませんが、例えばto do ~の基本3用法を眺めてみます。

I want to be a singer.(私は歌手になりたい)

I have a lot of things to do today.(私は今日やらなくてはならないことがたくさんある)

I went to the station to see my uncle off.(私は叔父を見送りに駅に行った)

さて、少し考察します。「私は」この時点で歌手になっているでしょうか?この時点でやることをやってしまっているでしょうか?「行った」時点で見送りは終了していたでしょうか?気づきましたか?まだ完了していない=定まった事実になっていないのです。だから「不定詞」。不定詞は未来を表す?違います。このような発見を塾生が自ら行う場、それが「寺子屋」です。講師は塾生に「答え」は与えません。高次元の授業になるとtopicすら与えません。伝えるのは学びの方法、すなわち「自らtopicに関心を持ち(topicを探し)、その答えを模索する方法」です。主に英語を利用するのはそのための客観的事実が集めやすいためです(当然その学習プロセスには「全教科」が絡みますが)。このような観点から学びを進めると、学習が押し付けられたものではなくなり、成績とやらが伸びるのは当たり前で、学問がいずれ社会の中で生きていく際の行動指針になります。基礎的なレベルにおいてはわかりやすく対象(英語)を理解するために必要な基礎知識(5あるいは4技能に分類される総合英語力)を伝達します。そこに「合格」などというおまけもつきます。しかし、真の狙いは塾生が対象(topic)を講師から与えられたものではなく自ら自由に探し出し探求する術を習得することにあります。これが「寺子屋」のリベラルアーツです。講師が「正答」、言いかえれば教育業界でよく耳にする「解法」とかいう主観的な分析や判断や主張を解説することはまれな場合を除いてありません。ただし、塾生からの「正答」に対する知的好奇心が見いだされた場合にはその根拠をはじめあらゆる角度から探求のお手伝いをいたします。一見難しそうに思われるかもしれまん。「わかりやすい解法」のほうが楽ですよね。しかし、その「わかりやすい解法」では対処できない問題に直面した時、どうしましょう?入試問題にさえそれがあるなら人生においてそんな「解法」は意味あるんでしょうか?人生という視野でこの学問を学ぶ期間を見た場合、それはごく短い期間にすぎず、またリベラルアーツの観点から学習を進めることは一生の財産どころか生きる術の準備運動にさえなり得ます。特別な環境で特別な学びをしてみませんか?



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